INTERVIEW  テンプル大学ジャパンキャンパス講師  Benoît Hardy-Chartrand氏

情熱に導かれて―

 

日本におけるビジネス成功の鍵を探る、『日加ビジネス記』第2弾。今回は、テンプル大学ジャパンキャンパスのカナダ人講師、Benoît Hardy-Chartrand氏に話を伺った。

同氏は、2018年より政治学・国際関係学部の准教授に着任。2024年1月より専任教員として活動している。

秋の陽ざしが心地よく差し込む東京の午後。活気にあふれるテンプル大学ジャパンキャンパスが今回の取材場所となった。
学生たちのエネルギーと知的好奇心、そして将来につながるような人間関係の芽生えが、まるで渦を巻くように広がっている。待ち合わせ場所に現れたHardy-Chartrand氏は、その場の雰囲気に自然と溶け込みながら、知識を伝える喜びと、刺激的な学びの環境で自身を磨き続ける姿勢を静かににじませていた。

——キャンパス内アゴラにて、同氏との印象深いやり取りが展開した。

 

「日本での国際的な経験を叶いたいのであれば、まずは国連大学を」

Benoît Hardy-Chartrand氏が日本との関わりを本格的に始めたのは、2012年に東京の国連大学(UNU)でインターンシップおよびフェローシップを経験したのがきっかけだ。その道のりは決して平坦ではなかったものの、面識のあった恩師の繋がりもあり、同大学の現職教授を紹介される。その教授が受け入れを快諾したことで、約1年にわたる日本滞在の機会を得ることに成功した。
この出来事は、日本社会への第一歩、そしてその後のキャリアに不可欠なネットワークの構築にもつながった。
「国連大学は、日本でのキャリアを築く上で非常に有効な入り口だと思います。私の知る限りでも、同様のルートで来日し、その後も国連の仕事に携わっている人や、自分の専門分野で日本国内で仕事に就いた人も多数知っています。」
同氏曰く、日本でのキャリア形成を目指す人たちにとって、UNUは理想的な足がかりになる。多文化的な環境の中で成長したいと考える人にとっても、大きな魅力を備えている。
というのも、同プログラムは、日本にまだ居住していない人や、現地で十分な人脈を構築していない人にとっても、日本でのキャリアへの道を開いてくれるからだそうだ。
「現地にいなくとも、国連の一員としてキャリアをスタートすることが可能なのです。」

ジュニアフェロー・インターンシップに関する詳細は、公式サイトをご覧ください:
UNU Junior Fellows Program

 

挑戦は、一度限りとは限らない

日本でキャリアを築くことは短距離走ではなく長距離マラソンである、とよく例えられる。専門分野や自身の性格、その時々の経済状況によって、一時的に立ち止まり、仕切り直す局面が訪れることもあるだろう。
そうした困難に直面しても、あきらめないこと。実際、Hardy-Chartrand氏も日本滞在の最初の一年を終えた時点でカナダへの一時帰国を決断をしている。関心分野に関連する職が日本国内で見つからなかったためである。
もちろん、日本に留まりたいという強い思いから、自分に合わない仕事でも無理に続ける者もいる。しかし視野を広げて別の選択肢を検討することも大事だ。
Hardy-Chartrand氏のように、自身の専門性を維持しながら日本との関わりを保ち続ける手段として、一度母国に戻るという判断は十分に理解できる。同氏も、「日本との接点を持ち続けながら」関心分野にとどまることの意義を語っている。
実際に、カナダ帰国後、同氏はオンタリオ州ウォータールーのシンクタンクにおいて、アジア太平洋地域の地政学的課題を対象とした研究に従事する。これをきっかけに、270回以上のメディア出演や多数の講演活動に加え、国際的なイベントの企画・運営に携わることも叶った。

 

移住の第一歩は“内定”から?

Hardy-Chartrand氏にとって、カナダで得た地位は実に魅力的なものだった。それでも心の奥では常に日本を思いつづけ、日本再挑戦を切望し続けた。そしてついに、当時の仕事の契約満了からわずか9日で、再び日本へ渡る決断を下す。
今度は雇用契約が全くない状態での渡航。大きなリスクを伴うものだったが、あくまで「計算されたリスク」だったと同氏は振り返る。「ラウル=ダンドゥラ研究講座(Chaire Raoul-Dandurand) やシンクタンクでの研究活動を通じて、専門分野で名前が知られるようになり、メディアでの露出や、複数の論考を発表する機会にも恵まれました。」
雇用契約がないまま日本へ渡り、現地で生活を始めることを安易に選ぶべきことではない。しかし、それ以外に選択肢がない場合は、関心のある分野での最低限の実績を有していたほうが好ましい。現地での計画を着実に実行するための明確なプラン、そして、周到な準備も重要だ。
Hardy-Chartrand氏の場合、2017年12月に日本を再訪。テンプル大学ジャパンキャンパスの助教授としての職を得たのは翌2018年5月。現在も同大学に籍を置いている。
テンプル大学ジャパンキャンパス(TUJ)は1982年に設立され、日本にある最も歴史あるアメリカの大学として知られている。国際色豊かなこの大学には、約2,500名の学生が在籍。東京に位置するTUJは、学生がグローバルな環境で活躍できるよう、アメリカ本校の基準に準拠した教育を提供している。

 

日本で成功するためには、”型通り”が正解?

すべての道は…東京へ通ず!

Hardy-Chartrand氏の旅と冒険への情熱は、子どもの頃にすでに芽生えていた。移住が日常の一部であった家庭で育った同氏は、幼少期から世界各地を巡る機会に恵まれ、外交官だった祖父の影響で、さまざまな文化に触れグローバルな視野を養ってきた。
青年期には、国際的なキャリアを歩みたいと明確に思うようになった。しかし、当初の夢はビジネスでも政治でも学術の世界に進むことでもなく、ロックスターとして世界に羽ばたくこと。
音楽への情熱と、地元での一定の成果を上げたものの持ちながらも、彼が最初に歩み出したのは「研究」という舞台だった。国際関係の研究をきっかけに、アジアをはじめとする多様な地域で活躍の機会を得て、最終的には日本に拠点を置くようになった。
振り返えると、これまでの道のりは、日本で成功を収めるには特に決まった道や定石が存在しないことを物語っている。
同氏によれば、成功に不可欠なのは、好奇心と環境への柔軟な対応力、さらに自らの志向に合った道を模索する意欲だという。
日本定住を叶えるため、必ずしも決まったルートをたどる必要はない。学術、ビジネス、または音楽の世界からキャリアをスタートしたとしても、最も重要なのは、自分の目標を明確に決め、強い意志を持ち、目の前に現れるチャンスをしっかり掴むこと。
情熱と柔軟な心構えをもって臨めば、どんな道でも東京へとつながる――そんな情景が、Hardy-Chartrand氏の歩んできた道のりから見えてくる。

 

日本で活躍するには、関心を向けるべきこと

長期的に日本での生活を送るうえで確かな土台となるのは、マンガやアニメといったポップカルチャーの範囲を超え、国そのものへの関心を深めることにある。
日本文化や歴史、社会に対する本質的なものへの関心は、その土地の価値観や社会の仕組みを理解する手助けとなり、スムーズな適応にもつながる。伝統や独自性に満ちた日本という国を深く知りたいという強い思いこそが、日本でキャリアや生活の基盤を築こうとする者にとって一番の原動力となる。
Hardy-Chartrand氏がそうであったように、アジア太平洋地域の政治・経済に対する関心は、国際関係やビジネス分野でのキャリアを目指す人にとって大きな強みとなる。
テンプル大学ジャパンキャンパスは、こうした関心を持つ学生や専門職の人々にとって、学問的かつ実践的な成長を後押しする理想的な環境と言えよう。日本文化に深く浸りながら、国際的な視野を広げるための貴重な場となり得る。

 

日本で、心がもっとも動かされること

日本の電車内の静けさにはたびたび驚かされる、とHardy-Chartrand氏は明かす。他国では会話や電話ごしのやり取りが飛び交うことも珍しくないが、日本では乗客のほとんどが静かにスマートフォンを操作したり、移動時間を休息に充てたりしている。公共空間で他人に迷惑をかけないという配慮は、日本文化に深く根づいており、日常の一つとなっている。
さらに、日本人の几帳面さや細部へのこだわりも印象的だと付け加える。清潔な公共空間のみならず、顧客対応や職場環境においてもその姿勢は一貫している。
企業文化においてはどうか。高い業務基準と明確な上下関係が存在し、自由度の高い環境に身を置いてきた人にとっては、この独特な文化に慣れるまで時間を要することもあるだろう。
「日本ではすべてが非常に組織化されていて、ルールは厳格に守られています。その規律は本当に印象的ですが、身に着けるまでにはある程度の時間が必要」と、Hardy-Chartrand氏は日本の特異点をあげる。

 

適応力こそ、日本で生き抜く最強の鍵

日本社会に順応することは、文化や制度の特性を深く理解し、それを受け入れる姿勢が求められる、決して容易ではない過程である。
「言語の壁は、多くの人が最初に直面する大きなハードルです。日本語は非常に複雑かつ繊細なニュアンスを多くもつ言語であり、日常生活を不自由なく送るレベルに達するには、相応の時間がかかります。」
言語においてしっかりとした基礎がなければ、行政手続き、業務上のやり取り、さらには日常的な人間関係においても、周囲に頼らざるを得ず、自立感を持ちにくいのが現実だ。
また、言語の壁を乗り越えた先にも、日本におけるルールや手続きの厳格さという別のハードルに直面する。より柔軟な環境に身を置いてきた人にとっては、日本特有の規律性に大きなカルチャーショックを受けることあるだろう。
「日本ではすべてが体系的に構築されており、行政手続きや企業の業務プロセスにおいても、確立された枠組みに従うことが求められます。状況に応じた柔軟な対応や迅速な意思決定が重視される西洋の人々には、この厳格さが時に実用性に欠けているように見えることがあるかもしれません」とHardy-Chartrand氏は観察する。
しかしながら、この仕組みを理解し受け入れることこそが、日本社会への円滑な適応の鍵となる。規範に順応しつつ、自身のスタイルやバランスを見つけることこそ、日本で長期的な生活基盤を築くために不可欠なのだ。

 

変わりゆく日本:昨今の変化

「過去12年間で日本の国際化は着実に進んでいます。日本は、海に囲まれていることもあり、内向きな国ではありますが、変革に向けた取り組みは行われています」とHardy-Chartrand氏は話す。
日本人と英語でコミュニケーションを取ることが稀だった以前と比べ、今ではそのハードルは大きく下がりつつあるのだそうだ。
「政府もこの課題を認識しており、英語教育の強化に注力しています。その結果、現地企業や関係者との取引も以前より円滑になってきています。」
また、日本が長年直面している人口減少が、外国人に対してより開かれた姿勢を促していると同氏は見ている。投資を行う外国人に対してビザ発給を積極的に行ったり、永住権の付与にも前向きな姿勢を示すようになった。

 

日本にまつわる幻想

外国人が持つ日本の誤ったイメージとは何か。Hardy-Chartrand氏は即座にこう答えた。
「日本が超未来社会だという幻想です。あるいは、新旧が混在する社会、ともよく言われていますが、どちらかというと古い部分が多くを占めるのが実感です。」
同氏は「近代化されていない」部分として、行政手続きの多くが紙ベースで行われていることなどを例に挙げ、日本では依然として「官僚的なプロセス」が主流であることを指摘する。銀行でさえファックスを多用しているのには、カナダ人も意外に思うだろう。
分野によるものの、進歩や技術革新は進んでいる一方で「日本が21世紀の水準に完全に更新されるまでには、なお時間を要する」と同氏は見る。

 

日本への移住にあたって心がけるべきこと

「日本で生活するためには、まず何より言語の習得が欠かせません」とHardy-Chartrand氏は語る。
英語が一定の役割を果たすアジアの国々がある一方で、日本では日本語の習得が自立生活を送る上で必須条件となる。言葉ができなければ、日常生活の様々な場面(行政手続き、仕事上のルールの理解、社会的な適応など)が困難になり、他者への依存が避けられなくなる。個人面でもビジネス面でも、適応の余地や新たなチャンスを狭めてしまう可能性がある。
また、言語の習得に加えて、ビジネスの場においては、現地の慣習や風習を理解することも同様に重要だ。
「現地に信頼できる相手がいることや、文化や慣習に精通していることは、多くのミスを未然に防ぐための鍵となります。たとえ日本語を流暢に話せても、ビジネス上の微妙なやり取りを理解していなければ、誤解や失礼につながることもあり得るのです」とHardy-Chartrand氏は注意を促す。

社会のルールが細かく整えられている日本では、上下関係や礼儀作法、企業の法令遵守が日本社会に長く根づいていくための重要なポイントとなる。

 

インタビューは2024年11月、東京・テンプル大学ジャパンキャンパスにて実施。
聞き手 Francis Carroll (OSHKO)